こんにちは、2016年10月に妻の故郷フィンランドに移住したCaptainJack(@CaptainJacksan)です!
先日日本の国際結婚について調べてたんですが、まさかEUの父と呼ばれる偉い人の母親が日本人であったことを知り、その驚きを共有したいと思います!
ただ、それだけじゃおもんないので、ランキングにしてみました。それでは早速チェケラッチョ^ー^v
高い離婚率は昔からの伝統?明治6年の国際結婚第一号夫婦の結末 悲劇すぎワロタ
日本史上最高にファビュラスな国際結婚ランキングトップ3
もちろんそんなランキングがあるわけじゃないので、完全に僕の意見です。それではレッツo(*・ω・*)ノ゙ゴー!
デヴィ夫人
結婚日:1962年(22歳)
夫:インドネシア元大統領スカルノ – Wikipedia
出ました!第3位は、インドネシア元大統領スカルノの第3布陣となった、デヴィ夫人!歯に衣着せぬ物言いで、僕は結構好きです。デヴィ夫人、お生まれは1940年なので、なんともう77歳!元気すぎですねぇ 笑
今もキレイですが、昔はかなりハンパなくキレイだったみたい。超高級クラブのホステスとして働いていたそうで、それはそれは稼いでいたとのこと。
デヴィ夫人といえば16歳から総入れ歯だったそうなのですが、本当のところはだれもわからないにせよ、まぁ絶対このころの夜接待と密接な関係がありますね。笑
若いころの写真を貼っておきます!
写真: デヴィ夫人の入れ歯の理由になぜ?若い頃(昔)?子供カリナ孫キランは北朝鮮?
デヴィ・スカルノ(Dewi Sukarno、1940年2月6日 – )は、日本生まれインドネシア国籍のタレント。インドネシアのスカルノ元大統領第3夫人。本名はラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)、旧名は根本七保子(ねもと なおこ)。通称はデヴィ夫人。1959年(昭和34年)、19歳のときに、インドネシアへの開発援助に伴い「東日貿易の秘書」という名目で、スカルノ大統領のもとに送り込まれた。
傷害罪で逮捕
1992年(平成4年)1月2日にアメリカ合衆国のスキー・リゾート地、コロラド州アスペンで、セルヒオ・オスメニャ第4代フィリピン大統領の孫娘のミニー・オスメニャ(Minnie Osmena)の顔をシャンパングラスで殴打し、37針縫う大けがを負わせて傷害罪で逮捕され、禁固60日・罰金700ドルの実刑判決が出て、34日間収監される。後に「刑務所での生活は学生寮のようで楽しかった」と語った。
刑務所入って「学生寮みたいで楽しかった」とはこりゃ参った、さすが大物ですわ!っていうか写真、めっちゃ美人ですねぇ。
オノ・ヨーコ
結婚日:1969年3月20日
夫:ビートルズのジョン・レノン
お次の第2位はオノ・ヨーコ!言わずと知れたジョン・レノンの妻です!
オノヨーコについてはよく知らないしそんなに関心も高くないのであんまり書きませんけど、小野一族ってマジみんな凄い経歴のオンパレードなんですよね。彦摩呂なら絶対偉人の宝箱や〜って言ってる。
その中でもひときわ光を放つのが、妹の小野節子。オノ・ヨーコの妹・小野節子の経歴プロフが凄すぎるの記事に詳しいですが、世界銀行シニアアドバイザーを務めた日英西仏語のマルチリンガルで、世界銀行退職後は陶芸家として活躍しているそう。
なんやそれ。何のキャラやねん。天は5物くらい与えてるやんけ!!
小野一族は家系的に銀行員と芸術家が多いけど、ヨーコ妹一人で両方やってるやん。いやほんと、華麗なる一族もいるもんですな・・・。
オノ・ヨーコ(Yoko Ono, 本名:ヨーコ・オノ・レノン、Yoko Ono Lennon, 日本名:小野 洋子、1933年2月18日 – )は日本生まれのアメリカの芸術家、音楽家。ビートルズのジョン・レノンと結婚、レノンとの数々の共作でも知られている。
1933年2月18日、銀行家の小野英輔を父として、小野磯子を母として、小野家の長女として、東京府(現:東京都)で誕生した。小野家は裕福な家庭で、父親の英輔はピアニストから銀行員となり、ヨーコが生まれたときは横浜正金銀行のサンフランシスコ支店副頭取であった。母親の磯子は、安田財閥の祖である安田善次郎の孫である。
ヨーコがどのような一族のもとに育ったかと言うと、小野英輔の父 (ヨーコの父方の祖父) である小野英二郎は、元日本興業銀行総裁。母方の祖父の安田善三郎は元貴族院議員で、安田財閥の祖である人物。さらにその父親は、元宇和島藩士で実業家の伊臣忠一である。義理の伯父には、医学者の小野康平や外交評論家の加瀬俊一(元国連大使)、歌舞伎役者の十三代目片岡仁左衛門、伯母にはロシア人のヴァイオリニストの小野アンナがいる。
家系おかしすぎワロタw
クーデンホーフ光子
結婚日:1892年3月16日
夫:ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー – Wikipedia
お待たせしました!第1位はこの人、クーデンホーフ光子!日本ではほとんど知られてないですね。この記事を書きたかったのは、この人を紹介したかったからです。
黒い瞳の伯爵夫人と呼ばれ、明治天皇の皇后美子から「異国にいても日本人の誇りを忘れないでください」と激励されるなどしたそうですが、やはりというか当時の時代背景もあり差別に苦労したと記録にあります。
差別と逆境に負けじと欧州の文化と歴史を学び徐々に認められるようになったようで、ただの玉の輿じゃない立派な人ですが・・・ただ、伯爵である夫は18ヶ国語を操り、特に哲学においては学者並の知識を備えていた教養豊かな人物だったそうで、中学を出てるか出てないかくらいだった光子にはだいぶ同情しますけどね。夫のレベルが高すぎて光子じゃなくてもきついわそんな教養格差あったらwww
外国人と結婚したことが理由で実家から勘当された光子でしたが、その後光子自身も息子を勘当しています。って、まてまてーーいwww 自分も同じことやっとるやんw こは反面教師で勘当の連鎖はストップしてほしかったな。w まぁ、7人の子供を完全にヨーロッパ人として育てるため、夫に日本語の使用を禁止されていたそうで、普段からストレスが溜まることも多かったのではないかと察します。母国語封印はきついと思うよ!
オーストリア=ハンガリー帝国の貴族ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯爵の妻で、パン・ヨーロッパ運動によりEUの礎を築いたリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵の母。
この頃の国際結婚は外国人にあてがわれた現地妻という認識が強かったため、光子は実家から表向き勘当されている。
1918年に戦争が終わると、次男リヒャルトが舞台女優イダ・ローラントと結婚すると言い出し、光子と対立する。リヒャルトは家を飛び出し駆け落ちをした。光子は「河原乞食で魔女」と思っていたこの卑しい女優業のイダ・ローラントとの結婚により激怒し次男を勘当した。次男が財産分与の話をした時もこの女優へのプレゼント目当てと分かり、ムキになった。
あんな女と結婚するなんて!!キーーー!!ってことなんでしょうか。真実は本人の手記の中に書いてあるかもしれません。よかったらぜひ読んでみてくださいねー!
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まとめ
おもしろい話もあるもんやねぇ。
クーデンホーフ・ユリアさんはどう思われましたか?
クーデンホーフw 伯爵なの?
伯爵じゃなかったね。ごめんね。
最後に
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